温泉の「泉質」が自慢
和銅6(713)年編纂の『肥前国風土記』に「東の辺りに湯の泉ありて能く人の病を癒やす」と書かれた伝統の湯処。江戸時代には長崎街道の宿場町として栄え、藩営浴場は武士や町人の入浴客でにぎわった。今も九州北部随一の温泉地として有名。