中岡慎太郎
天保9年(1838年)4月13日、土佐国安芸郡の大庄屋中岡小伝次とウシの長男として生まれる。文久元年(1861年)武市半平太が結成した土佐勤王党に加入。しかし、土佐勤王党が次第に過激な行動を取るようになったため、中岡は土佐藩を脱藩。長州へ移り、長州藩の庇護のもとで尊王攘夷運動を行う。都落ちしていた公家の三条実美の配下となり、各地の志士たちと交流する。元治元年(1864年)7月、蛤御門の変に参戦するも敗退。この経験から長州単独による倒幕は無理と考え、薩摩との連合を画策。同年12月、薩摩の西郷隆盛と面会、翌慶応元年(1865年)には長州の桂小五郎と面会。その結果、慶応2年(1866年)1月、坂本龍馬仲介のもと薩長同盟が締結されるのであった。続いて、慶応3年(1867年)6月、坂本龍馬と共に薩摩と土佐の密約締結にも成功。しかし、同年11月、京都の近江屋で坂本龍馬と会談中に襲撃され、死亡。享年29。

中岡慎太郎(国立国会図書館蔵)
中岡慎太郎 ゆかりの地
ゆかりの宿